フットボーラーにとって最大の栄誉 バロンドールについて

記事

始めに

バロンドール(ballon d’or)は、フランスのニュース雑誌であるフランス・フットボールが、選出するサッカー選手のための賞になります。

・投票権を持っている各国の記者や代表チーム関係者によって投票され、その投票結果に基づいて個人の選手に賞が贈られます。

バロンドールはあくまでも個人賞ですが、この賞を受賞することはその年に最もすばらしい功績を残した証であり、バロンドールの受賞者が世界一の選手であるということは多くの人々が認める事実です。

・そのため数あるサッカーの表彰の中でも最も権威と歴史のある賞とみなされており、世界中のサッカー選手にとってバロンドールを受賞することは大きな目標であると同時に、この賞を受賞することはサッカーの歴史に名を刻むことになります。

・今回はそんなバロンドールについて取り上げてみたいと思います

 

 

 

歴史

バロンドールは1956年にフランスのスポーツ記者であった「ガブリエル・アノット」という人物によって考案されました。

・最初の受賞者はイングランドの「スタンレー・マシューズ」という選手でした。

・マシューズはドリブルとクロスに秀でた名選手であり、個人の選手としては素晴らしい成績を残していましたが、キャリアを通じてチームタイトルには恵まれてはいませんでした。

・しかし、人格者として知られたマシューズはその実力もさることながら、選手としての模範的な振る舞いでも多くの人々から尊敬を集めていました。

・そこでアノット記者と彼に賛同したフランス・フットボール社は、マシューズの功績を改めて称えるために独自の賞を作りました。

・これが現在でも続くバロンドールの始まりです。

バロンドールには、チーム成績に関係なく、個人として優れた功績を残した選手を称えるという意義と目的が込められています。

・最初の賞がマシューズに送られてから年間ごとに、記者投票によって選出された選手に賞が贈られることになりました。

・当初は受賞資格があるのは、ヨーロッパの選手だけであり、投票もサッカー記者によってのみ行われていました。

・やがてヨーロッパ年間最優秀選手となったバロンドールは、UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の管轄となり、多くのファンの注目を集めることになります。

・その後、受賞資格と投票者は拡大されていくことになります。

・1995年には国籍や出身に関係なく、ヨーロッパのリーグで活躍した選手が対象となり、2007年には世界中のすべてのプロリーグの選手が対象となったことで記者だけでなく、代表チームにも投票権が与えられました。

 

 

課題

・こうしたバロンドールの変化は賛否両論であり、評価する声もあれば、バロンドール本来の伝統と価値が失われていると批判する声も根強くありました。

・それに拍車がかかったのは2010年のFIFAバロンドールの設立でした。

・2010年にFIFA(世界サッカー連盟)は、UEFAバロンドールFIFA年間最優秀選手賞を統合してFIFAバロンドールを設立することを発表しました。

・それまでの投票の方式が変更されたことや、賞本来の意義が薄まっているとして、この決定は多くの反発の声が挙がりました。

・更にUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)が当初のバロンドールの伝統を維持するために、UEFA年間最優秀選手賞という新たな賞を設立したことで、協会同士の確執も噂されました。

・結果的に統合は5年後の2015年に解消され、現在は従来の方式に戻っています。

 

 

 

まとめ

・2020年、バロンドールを管理するフランスのレキップ紙は、新型ウイルスの影響で賞の選考を中止することを発表しました。

バロンドールはサッカー選手にとって大きな名誉であると同時に、サッカー界の不公平さを浮き彫りにしている側面があることも事実です。

・賞が発足されてから2021年の現在までに、65回の賞が選手に贈られ、44人の選手が受賞しています。

・ただ、その大半はフォワードやミッドフィルーダーの攻撃の選手であり、守備の選手が受賞することは滅多にありません。

・2007年に賞の規模が世界的な広がりを見せても受賞者の地域は、欧州や南米に偏っています。

・欧州と南米意外での受賞者が生まれたのは、1995年のアフリカの「ジョージ・ウェア」だけであり、それ以外の地域からは受賞者は現れていません。

・今後、ディフェンスの選手やそれら地域から受賞者が現れることがあるのか、バロンドールの動向に注目していきましょう。